2013年 11月 06日
被災地の怪談 |
今回は長文になりますが、どうかお付き合い下さい。
少し前になりますが、録画したままになっていた8月23日(金)放映のNHKスペシャル<シリーズ東日本大震災>「亡き人との“再会” ~被災地 三度目の夏に~」を見ました。

多くの命を奪った東日本大震災から迎える3度目の夏・・・
突然大切な人を失った人たちは亡き人への思いを募らせます。
被災地で今「故人と再会した」「声を聞いた」「気配を感じた」といった“亡き人との再会”体験を語る人があとを絶たないらしい。
そんな証言が放映され多くの反響を呼んだようです。
たとえば、一緒にいたおばあちゃんが濁流で流されて、自分だけが生き残った孫娘の証言・・・
「なんで自分だけ生かされたんだろう、なんで死ねなかったんだろう、とおばあちゃんのことばかり考えていたある日の夜、おばあちゃんが枕元に鮮明な姿で現われて、にこやかに微笑みかけてくれたんです。
穏やかな表情に救われた想いがして、おばあちゃんのためにも自分がしっかりと生きていかないと、と考えるようになりました。」
震災で妻と0歳と1歳のふたりの息子を亡くした父親の証言・・・
「父親らしいこと何ひとつしてあげられなかった、とふさぎこんでいた3年目のある日、寝ているとトントンって誰かが肩をたたくんです。
ふと見ると、そこには3歳と1歳になった2人の息子と不思議な女の子が立っていました。
長男が「パパ、大丈夫だからね!」と励ましてくれ、次男は無邪気にキャッキャッと笑っていました。
それ以来、家族がいつも見ていてくれて共に暮らしているように感じられるようになりました。」
こうした体験は「故人にひと目会いたい」「死を受け入れたくない」「自分だけ生き残って申し訳ない」などの悲しみの現われであると同時に、遺された人たちの生き方にも影響を与えているとされています。
体験を分析した医師は「亡くなった人は今も大切な存在であり続けている。死者が生きている人をケアしています。彼らは亡くなった後も生きている人を温かく勇気づけ、元気づける存在なんです。」と語っています。
亡くなってもなお、遺された者たちを気づかう死者たちのいじらしさが切なく哀しくて、胸を締めつけられる思いで録画を見ました。

こうした不思議な話は他の被災各地でも数多く語られているようです。
横断歩道を渡る幽霊たちが日ごとに増え、静岡県警から応援に来ている警官が交通整理にてんてこ舞いしている。
津波で亡くなったある高齢の女性が仮設住宅の住民を頻繁に訪ねて来る。
彼女はかつてその土地の人気者だった。
住民たちは、もう死んでしまっていることを彼女に知らせるかどうか相談するが、やっぱり気の毒だからもう少しそのままにしておこうと決めた。
被災者の悩みを聴くボランティア活動をしている僧侶が被災した男性から受けた相談・・・
ある男性は勤め先の工場が津波で流され、今は地元のがれきを片付ける仕事をしているのだが、その行き帰りに “何か” を見てしまうという。
よく聞いてみると、かつての勤め先で長年お世話になった経営者の家族が津波の犠牲となったが、葬儀は営まれず、墓参りも出来ていないらしい。
どうやらその人たちの影らしいと気づいた僧侶は「あなたが優しい人だから頼って来てるんです。でも一人では背負い切れないから、ちょっと待ってて!と云ってもいいんですよ。」と助言した。
その人たちの名前を聞いて読経を始めると、彼は思わず涙を流したという。

仕事の性格上、タクシーの乗務員さんもそんな話によく遭遇するようです。
運転手さんが夜に客を拾うと、今や誰も住んでいないのに、その町に行ってと云われることが多い。そのことを問うと、逆に「私、死んだんですか?」なんて聞き返されたりする。
これも夜半に車を走らせていた運転手さん。男性客が行き先を告げる。そこも津波で壊滅したはずの町。不審に思ってふと後ろを振り返ると、誰もいない。
“被災者の幽霊ではないか?” そう思った彼は告げられた海岸まで車を走らせてドアを開け、見えない客に「お疲れさま!」と声をかけた。
これらの怪談は、東日本大震災の起きた一昨年の秋ごろから被災各地で伝えられるようになったようです。
そこには、遺された人たちの心の区切りがまだついていない現実が強く感じられます。
前述のボランティアの僧侶は「怪談の原因を探したり、解釈したりするのではなく、被災者の心の不協和音を聞き取って、これから前向きに生きるメロディーに編んであげるのが、私たち宗教者の役割だと思います。」と話しています。

語られる怪談はどこかユーモラスで心温まる話が多いように思います。
むごたらしいホラーのような都市伝説とは明らかに性格を異にしています。
専門家は震災を体験した人々が死者のサインを受け取り始め、身近な者の死が愛着に結びつき、怪談話に供養や鎮魂の思いが込められるようになったからだ、と指摘します。
いずれにしても、これらの怪談話が姿を変えながら、傷ついた被災地の人々の心の癒しに少しでも役立てば、と願わずにはいられません。
そしてそれは、いつかやがて民話の宝庫である東北地方の、震災を語った新しい民話のひとつとして、語り継がれていくことになるのかも知れません。
少し前になりますが、録画したままになっていた8月23日(金)放映のNHKスペシャル<シリーズ東日本大震災>「亡き人との“再会” ~被災地 三度目の夏に~」を見ました。

多くの命を奪った東日本大震災から迎える3度目の夏・・・
突然大切な人を失った人たちは亡き人への思いを募らせます。
被災地で今「故人と再会した」「声を聞いた」「気配を感じた」といった“亡き人との再会”体験を語る人があとを絶たないらしい。
そんな証言が放映され多くの反響を呼んだようです。
たとえば、一緒にいたおばあちゃんが濁流で流されて、自分だけが生き残った孫娘の証言・・・
「なんで自分だけ生かされたんだろう、なんで死ねなかったんだろう、とおばあちゃんのことばかり考えていたある日の夜、おばあちゃんが枕元に鮮明な姿で現われて、にこやかに微笑みかけてくれたんです。
穏やかな表情に救われた想いがして、おばあちゃんのためにも自分がしっかりと生きていかないと、と考えるようになりました。」
震災で妻と0歳と1歳のふたりの息子を亡くした父親の証言・・・
「父親らしいこと何ひとつしてあげられなかった、とふさぎこんでいた3年目のある日、寝ているとトントンって誰かが肩をたたくんです。
ふと見ると、そこには3歳と1歳になった2人の息子と不思議な女の子が立っていました。
長男が「パパ、大丈夫だからね!」と励ましてくれ、次男は無邪気にキャッキャッと笑っていました。
それ以来、家族がいつも見ていてくれて共に暮らしているように感じられるようになりました。」
こうした体験は「故人にひと目会いたい」「死を受け入れたくない」「自分だけ生き残って申し訳ない」などの悲しみの現われであると同時に、遺された人たちの生き方にも影響を与えているとされています。
体験を分析した医師は「亡くなった人は今も大切な存在であり続けている。死者が生きている人をケアしています。彼らは亡くなった後も生きている人を温かく勇気づけ、元気づける存在なんです。」と語っています。
亡くなってもなお、遺された者たちを気づかう死者たちのいじらしさが切なく哀しくて、胸を締めつけられる思いで録画を見ました。

こうした不思議な話は他の被災各地でも数多く語られているようです。
横断歩道を渡る幽霊たちが日ごとに増え、静岡県警から応援に来ている警官が交通整理にてんてこ舞いしている。
津波で亡くなったある高齢の女性が仮設住宅の住民を頻繁に訪ねて来る。
彼女はかつてその土地の人気者だった。
住民たちは、もう死んでしまっていることを彼女に知らせるかどうか相談するが、やっぱり気の毒だからもう少しそのままにしておこうと決めた。
被災者の悩みを聴くボランティア活動をしている僧侶が被災した男性から受けた相談・・・
ある男性は勤め先の工場が津波で流され、今は地元のがれきを片付ける仕事をしているのだが、その行き帰りに “何か” を見てしまうという。
よく聞いてみると、かつての勤め先で長年お世話になった経営者の家族が津波の犠牲となったが、葬儀は営まれず、墓参りも出来ていないらしい。
どうやらその人たちの影らしいと気づいた僧侶は「あなたが優しい人だから頼って来てるんです。でも一人では背負い切れないから、ちょっと待ってて!と云ってもいいんですよ。」と助言した。
その人たちの名前を聞いて読経を始めると、彼は思わず涙を流したという。

仕事の性格上、タクシーの乗務員さんもそんな話によく遭遇するようです。
運転手さんが夜に客を拾うと、今や誰も住んでいないのに、その町に行ってと云われることが多い。そのことを問うと、逆に「私、死んだんですか?」なんて聞き返されたりする。
これも夜半に車を走らせていた運転手さん。男性客が行き先を告げる。そこも津波で壊滅したはずの町。不審に思ってふと後ろを振り返ると、誰もいない。
“被災者の幽霊ではないか?” そう思った彼は告げられた海岸まで車を走らせてドアを開け、見えない客に「お疲れさま!」と声をかけた。
これらの怪談は、東日本大震災の起きた一昨年の秋ごろから被災各地で伝えられるようになったようです。
そこには、遺された人たちの心の区切りがまだついていない現実が強く感じられます。
前述のボランティアの僧侶は「怪談の原因を探したり、解釈したりするのではなく、被災者の心の不協和音を聞き取って、これから前向きに生きるメロディーに編んであげるのが、私たち宗教者の役割だと思います。」と話しています。

語られる怪談はどこかユーモラスで心温まる話が多いように思います。
むごたらしいホラーのような都市伝説とは明らかに性格を異にしています。
専門家は震災を体験した人々が死者のサインを受け取り始め、身近な者の死が愛着に結びつき、怪談話に供養や鎮魂の思いが込められるようになったからだ、と指摘します。
いずれにしても、これらの怪談話が姿を変えながら、傷ついた被災地の人々の心の癒しに少しでも役立てば、と願わずにはいられません。
そしてそれは、いつかやがて民話の宝庫である東北地方の、震災を語った新しい民話のひとつとして、語り継がれていくことになるのかも知れません。
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by anculu
| 2013-11-06 23:43
| 世のこと
|
Comments(2)
おっしゃるとおり。
アンクルさんはとても確実なところを捉えて話してくださったという思いです。
読ませていただいて…私は涙が止まりません。
ありがとうございました。
アンクルさんはとても確実なところを捉えて話してくださったという思いです。
読ませていただいて…私は涙が止まりません。
ありがとうございました。
被災地の皆さんはまだまだ納得がいってないんだ、ってホントに
思いましたね
この時期、TVでは「恐怖体験」なんて放送が多いです
でも、ウチのカミさんがこの放送はそんなのとは一線を画して、ある
意味こっちの方が本当に怖いし、切なかったと評するので見ました
ワタシはそういうのに鈍くて、一度もお目にかかったことがないので
すが、亡くなった方と遺った方とがこうして交流されてるのだなという
のは強く感じました
思いましたね
この時期、TVでは「恐怖体験」なんて放送が多いです
でも、ウチのカミさんがこの放送はそんなのとは一線を画して、ある
意味こっちの方が本当に怖いし、切なかったと評するので見ました
ワタシはそういうのに鈍くて、一度もお目にかかったことがないので
すが、亡くなった方と遺った方とがこうして交流されてるのだなという
のは強く感じました