インサイド・ルーウィン・デイヴィス ~ 名もなき男の歌 |
「ノーカントリー」「トゥルー・グリット」などでおなじみのコーエン兄弟が、2013年第66回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品。
1960年代のニューヨークはグリニッジヴィレッジを舞台に、音楽生活に苦闘しつつも売れないシンガーソングライターの1週間を見つめます。
60年代のフォークシーンで活躍し、あのボブ・ディランがあこがれたと伝わるデイブ・バン・ロンクの生涯を下敷きにしたと云われています。
詳細に再現された1960年代フォークシーンの描写も見ものです。
1960年代の冬、ニューヨーク・グリニッジヴィレッジ。
音楽に対してだけは頑固だけれど、それ以外にはまるで無頓着なしがないフォーク・シンガーのルーウィン・デイヴィス。
持ち金も底をつき知人の家を転々とするその日暮らし。
そんなある日、泊めてもらった家の飼い猫が逃げ出してしまい、成り行きから猫を抱えたまま行動するハメに・・・
おまけに手を出した友人の彼女からは妊娠したと責められる始末。
これではと一念発起、ヒッチハイクでシカゴへ向かい、名うてのマネージャーに売り込もうとするのだったが・・・
主人公のルーウィンはとてもピュアな心の持ち主で、チョッと滑稽だけれど愛さずにはいられない魅力を持っています。
ただ、そのピュアな心ゆえに現実世界とは折り合いが悪く、何をやってもうまくいかない。
せっかく敏腕マネージャーに売り込もうという時に、あえて「金の匂いのしない」曲を歌ってみたり、グループの一員としてならどうか?と持ちかけられても信条が違うからと断り、みすみすチャンスを捨ててしまったりします。
他の登場人物たちもみんな同じで、それぞれのこだわりを貫き、暮らしの中で悩み悪戦苦闘しています。
客観的に見れば、まるで自分で自分のクビを絞めているように見えます。
少しゆずればもっとうまくいくだろうに、と歯がゆく思えなくもない。
しかし、大切なのはお金よりも名声よりも、自分の信じるあり方・・・
それがあの時代の心意気だったのだという気がしました。
のちに時代が変わり、ボブ・ディランの出現によって風が吹き、フォークソングが世界的なブームを迎えるのですが、ディランになれなかった多くの人々の哀歓がルーウィンに重ねあわされ、巧みに描かれていて面白いと思いました。
時流に乗れなかった"普通の人たち" への共感が心に沁みます。
ルーウィンと入れ替わるように、若きディランらしき影がチラッと登場するラストシーンが、だからこそ強烈な印象を残します。
40年前、アンクルが京都のロック喫茶で歌っていたころ・・・
日本のフォークソングもすでにメジャーな流行歌へと変貌し、京都の音楽シーンも以前のような輝きを取り戻せない時代に移っていたようでした。
そんなあのころの自分の佇まいが、どこかこの物語に重なって切なくほろ苦くよみがえって来ました。
それにしても、この作品を見てつくづく感慨を新たにさせられたのは、歌い手はストリッパーでなくてはいけないということ!・・・
人さまの前でどれだけハダカの自分をさらけ出すことが出来るのか?・・・
歌い手にはいつもそれが問われているのだ!と、あらためて襟を正される思いでした。