ある精肉店のはなし ~ いのちをいただく |
牛を育て、それを家族が協力し合ってていねいに処理し、肉として店頭に並べるまで、すべて自分たちの手仕事でまかなっています。
その真面目な仕事ぶりを通して、いのちと食、そして家族を描き出したドキュメンタリー。
監督は、原発建設に反対を続ける島民たちの姿を捉えた 「祝(ほうり)の島」 で注目を集めた、“ 纐纈(はなぶさ)あや ”・・・
いのちあるものが肉となり、食卓に届くまでをつぶさに見つめながら、「生の営み」とは何かを浮き彫りにしていきます。
まず、1頭の牛が住宅街の中を次男に引かれ屠場に入ります。
長男がハンマーで牛の眉間をノッキングし、家族は息の合った作業で、巧みに包丁をあやつり牛を解体していきます。
700kgにもなる牛が、見事な手つきで内臓をさばかれ、その確かな経験と技術により、鮮やかに肉になっていきます。
この見事な手さばきも 「 自分たちの仕事は子どもの頃から自然にならい覚えたことで、何も特別なものではない。暮らしの一部です。」 と、何の気負いもない一家。
店主として店を切り盛りしながら、高齢化、過疎化が進む地域に尽力しようと考える長男・・・
ともに店をやりくりし、一家を引っ張る明るい長男の妻・・・
年に一度、ひときわ思い入れの強い「だんじり」の太鼓づくりをしながら、屠畜の仕事を通して見える 「 いのちの大切さ 」 を、地域の学校で子どもたちに話し伝えようとする次男・・・
一日のほとんどを台所で過ごし、家族のために食事を作る長女・・・
そして、いつも微笑みながら家族を見守る87歳の母・・・
そこにあるのは、ごく平穏な普通の家庭の日常です。
しかし、家業を継いだ兄弟の心にあったのは、被差別部落ゆえの理不尽な差別を受けてきた父の後姿でした。
差別のない社会をと、地域の仲間とともに部落解放運動に参加した、と語る兄弟。
それにより、いつしか自分たちの意識も変わり、地域や家族も変わったと云います。
そんな彼らの暮らしを支え102年続いてきた公営屠畜場が、2012年3月、輸入肉や大規模屠場への統合の影響によって閉鎖されることになりました。
最後の屠畜を終えた、この精肉店の新たな日々への模索を紹介しながら、映画は終わります。
多くの人に見てほしい映画です。
毎日の仕事に精を出し、盆踊りやだんじり祭りに興じ、そのための太鼓をつくり、地域に根ざした日々を生き生きと過ごしながら・・・
この仕事に対する偏見や、被差別部落ゆえのいわれなき差別にも、決して声高に何かを叫んだりせず・・・
どこにでもある、普通の家族の普通の暮らしを、淡々と積み重ねていく・・・
そんな一家のありようがとても美しく、そして何より気高く感じられました。