2013年 08月 15日
比叡山修行 |
「てんびんまつり」の前日、朝から比叡山に上り、毎年恒例の比叡山修行・・・
かれこれ20年近く続いています。
まるまる修行三昧の24時間です。
坐禅を中心に、写経、山内参拝などなど、定番メニューをこなしていきます。
お坊さんになるためではない、いうならば修行体験なのですが、これがけっこう厳しい。
行動はいつも小走りで、休息などほとんどなし。
日常の動作がすべて修行とされ、常に緊張を強いられます。
まずは、修行の内容や注意事項を聞く講義が、軽く1時間・・・
この間ずっと正座です。
お坊さんの所作は、正座に始まり正座に終わります。
なので、常に正座で居て慣れよ、という理由からでしょうか?
次に食事・・・
食事は何にも増して重要な修行です。
もちろん、その間もずっと正座・・・
さらに、食事をいただく食堂(じきどう)では、一切の物音が禁じられます。
食器を置くコトッという音にも、行監の怒声が響きわたります。
おまけに、必ず食器はいちいち手に持って食べなければいけない。
どないせぇっつうの・・・って気持ちになるけど、細心の注意を払いながら、そーっと素早く食べねばなりません。
それで味などわかる?と思われるでしょうけど、ところが不思議なことに、集中していると味のひとつひとつがよくわかり、とても美味しく感じられるのです。
写経は、書き飛ばすのではなくて、一字一字、ていねいに写すことを、まず心がけて・・・
そして、修行の中心になるのが、坐禅 (比叡山では止観という)・・・
なので、朝昼晩と坐ります。
坐るのは一炷(いっしゅ)、すなわち線香1本が燃えつきる時間(およそ40分間)です。
身体を調え、呼吸をひとつふたつと数えることに集中します。
と云っても、実際はそんなに簡単ではありません。
あれやこれやと頭の中を駆け巡り、じっと数え続けるなんて、なかなか出来るものではありません。
なので、あまり「集中しよう!しよう!」などと思わず、心のおもむくままにしておきます。
そうすると、ちょうど掻きまわして濁った水溜りがやがて静かに澄んでいくように、そのうち “心のよどみ” もゆっくりと落ち着いて来ます。
休息時間がないのも、正座で足が痛いのも、食事の作法が厳しいのも、つまりは “自分の都合を捨てよ” ということです。
たとえば、ずっと座っていれば足は痛い。
けど、その足の痛さに囚われないこと・・・
痛さばかりにこだわる自分を、まず後まわしにしなさい、ということです。
<自分をないものとする>・・・それが極意です。
そんなこと云ったって、やっぱり痛いものは痛い。
でも、痛いなりに我慢できる心境には、だんだんとなって来るものです。
たった24時間だけれど、とても濃縮した時間を感じます。
そして終わったあとは、ちょっとした運動が身体を軽くするように、心がすっきりと軽く感じられるようになります。
かれこれ20年近く続いています。
まるまる修行三昧の24時間です。
坐禅を中心に、写経、山内参拝などなど、定番メニューをこなしていきます。
お坊さんになるためではない、いうならば修行体験なのですが、これがけっこう厳しい。
行動はいつも小走りで、休息などほとんどなし。
日常の動作がすべて修行とされ、常に緊張を強いられます。
まずは、修行の内容や注意事項を聞く講義が、軽く1時間・・・
この間ずっと正座です。
お坊さんの所作は、正座に始まり正座に終わります。
なので、常に正座で居て慣れよ、という理由からでしょうか?
次に食事・・・
食事は何にも増して重要な修行です。
もちろん、その間もずっと正座・・・
さらに、食事をいただく食堂(じきどう)では、一切の物音が禁じられます。
食器を置くコトッという音にも、行監の怒声が響きわたります。
おまけに、必ず食器はいちいち手に持って食べなければいけない。
どないせぇっつうの・・・って気持ちになるけど、細心の注意を払いながら、そーっと素早く食べねばなりません。
それで味などわかる?と思われるでしょうけど、ところが不思議なことに、集中していると味のひとつひとつがよくわかり、とても美味しく感じられるのです。
写経は、書き飛ばすのではなくて、一字一字、ていねいに写すことを、まず心がけて・・・
そして、修行の中心になるのが、坐禅 (比叡山では止観という)・・・
なので、朝昼晩と坐ります。
坐るのは一炷(いっしゅ)、すなわち線香1本が燃えつきる時間(およそ40分間)です。
身体を調え、呼吸をひとつふたつと数えることに集中します。
と云っても、実際はそんなに簡単ではありません。
あれやこれやと頭の中を駆け巡り、じっと数え続けるなんて、なかなか出来るものではありません。
なので、あまり「集中しよう!しよう!」などと思わず、心のおもむくままにしておきます。
そうすると、ちょうど掻きまわして濁った水溜りがやがて静かに澄んでいくように、そのうち “心のよどみ” もゆっくりと落ち着いて来ます。
休息時間がないのも、正座で足が痛いのも、食事の作法が厳しいのも、つまりは “自分の都合を捨てよ” ということです。
たとえば、ずっと座っていれば足は痛い。
けど、その足の痛さに囚われないこと・・・
痛さばかりにこだわる自分を、まず後まわしにしなさい、ということです。
<自分をないものとする>・・・それが極意です。
そんなこと云ったって、やっぱり痛いものは痛い。
でも、痛いなりに我慢できる心境には、だんだんとなって来るものです。
たった24時間だけれど、とても濃縮した時間を感じます。
そして終わったあとは、ちょっとした運動が身体を軽くするように、心がすっきりと軽く感じられるようになります。
by anculu
| 2013-08-15 10:17
| ほとけさまのこと
|
Comments(6)
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まみ
at 2013-08-15 20:36
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20年近く続けておられるんですか‼ほんとにアンクルさんの嗜まれる領域の広いこと‼私も見習わなくてはと思っております。
やはり比叡山は涼しかったですか?お写真拝見してると緑が多くて空気が澄み渡っている感じが伝わってきます。
やはり比叡山は涼しかったですか?お写真拝見してると緑が多くて空気が澄み渡っている感じが伝わってきます。
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anculu at 2013-08-16 10:02
気がついてみたら20年近くになっていた、っていう感じです
こんな厳しいのは二度といい、という人もいるようですが
アンクルにはけっこう性に合っているのかも(Mだから・・・)
興味の惹かれることは一応やってみたいと思うのです
面白くなかったらそれまでで、止めたらいいだけのこと・・・
比叡山はやはり涼しい
朝晩は寒いくらいですよ・・・
こんな厳しいのは二度といい、という人もいるようですが
アンクルにはけっこう性に合っているのかも(Mだから・・・)
興味の惹かれることは一応やってみたいと思うのです
面白くなかったらそれまでで、止めたらいいだけのこと・・・
比叡山はやはり涼しい
朝晩は寒いくらいですよ・・・
昔、中学の時の先生が浄土真宗の信者で、誘われて
山寺での念仏行に参加したが、一回で落伍。
大学の時に、相国寺の座禅会に参加したが、三日で
撤退。これがほんとの三日坊主。(笑
山頭火の行乞を一度はやってみたいものだが、乞食
なら三日やれば止められなくなるかもしれない。
山寺での念仏行に参加したが、一回で落伍。
大学の時に、相国寺の座禅会に参加したが、三日で
撤退。これがほんとの三日坊主。(笑
山頭火の行乞を一度はやってみたいものだが、乞食
なら三日やれば止められなくなるかもしれない。
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anculu at 2013-08-16 15:35
アンクルさん、お疲れ様でした!
清々しい気分で下山、
そして、激暑の中でソーセージを焼く…
アンクルさんの仏道修行はこんな日々の中に、
めいっぱい、中身重くつめこまれているような気がします(^.^)
清々しい気分で下山、
そして、激暑の中でソーセージを焼く…
アンクルさんの仏道修行はこんな日々の中に、
めいっぱい、中身重くつめこまれているような気がします(^.^)
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anculu at 2013-08-17 16:52
20年前と較べるとひとつひとつの動作が遅くなってきたように
感じました
周りの皆さんは常に若い方が多いので、いずれついて行けなく
なるのかも・・・
これも、もうあと少しで考えた方がいいかな、と今回初めて感じました
まもなく潮時が来そうです
その後は、蓮子さんのところで修行させていただきますので
今からよろしく!
あっそれと、国際協会の予定と重なって、今年も地蔵盆会に
参加させてもらえそうにありません
楽しみにしてたのに残念です、申し訳ありません
(こんな調子じゃなかなか修行させていただけないですね・・・)
感じました
周りの皆さんは常に若い方が多いので、いずれついて行けなく
なるのかも・・・
これも、もうあと少しで考えた方がいいかな、と今回初めて感じました
まもなく潮時が来そうです
その後は、蓮子さんのところで修行させていただきますので
今からよろしく!
あっそれと、国際協会の予定と重なって、今年も地蔵盆会に
参加させてもらえそうにありません
楽しみにしてたのに残念です、申し訳ありません
(こんな調子じゃなかなか修行させていただけないですね・・・)