2012年 11月 28日
仏も昔は… |
お習字のおけいこ…
<衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水をはなれて氷なし 衆生の外に仏なし>
江戸中期の名僧、白隠禅師の『坐禅和讃』の冒頭です。
悟りの心とは遠くに求めるものではなく、己の中にある…
そういうことでしょうか?
目先の欲や迷いに惑わされ、それが見えなくなっているのが、今の私たちの姿というところでしょう。
これを見て、NHKの大河ドラマ『平清盛』で、先日放映された祇王と仏御前のくだりが思い浮かびました。
清盛入道の寵愛を受けていた白拍子、祇王。
同じく白拍子の仏御前にその座を奪われたうえ、彼女を慰めるよう清盛から命ぜられます。
そこで、祇王は即興で歌い、そして舞い踊ります。
仏も昔は凡夫なり
我らも終には仏なり
いずれも仏性具せる身を
へだつるのみこそかなしけれ
凡夫衆生も仏なり…という教えに託し、仏御前に心を移し、おのれを辱める清盛の仕打ちを嘆いて見せたのです。
そしてこのあと、祇王とその妹祇女は、歌を残して清盛のもとを去ります。
萌え出づるも 枯るるも同じ野辺の草
いずれか秋に あはで果つべき
咲きほこるのも枯れるのも、同じ野辺の草たる白拍子のさだめ…
あなたもいずれ清盛に飽きられ、私と同じ目にあうのですよ…
その祇王の意を感じた仏御前は、世の無常を悟り、自ら髪を落として、祇王のもとに走ります。
その向かった先の庵こそ、京都・嵯峨野の名刹 …祇王寺…
『平家物語』の有名な一節です。
<衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水をはなれて氷なし 衆生の外に仏なし>
江戸中期の名僧、白隠禅師の『坐禅和讃』の冒頭です。
悟りの心とは遠くに求めるものではなく、己の中にある…
そういうことでしょうか?
目先の欲や迷いに惑わされ、それが見えなくなっているのが、今の私たちの姿というところでしょう。
これを見て、NHKの大河ドラマ『平清盛』で、先日放映された祇王と仏御前のくだりが思い浮かびました。
清盛入道の寵愛を受けていた白拍子、祇王。
同じく白拍子の仏御前にその座を奪われたうえ、彼女を慰めるよう清盛から命ぜられます。
そこで、祇王は即興で歌い、そして舞い踊ります。
仏も昔は凡夫なり
我らも終には仏なり
いずれも仏性具せる身を
へだつるのみこそかなしけれ
凡夫衆生も仏なり…という教えに託し、仏御前に心を移し、おのれを辱める清盛の仕打ちを嘆いて見せたのです。
そしてこのあと、祇王とその妹祇女は、歌を残して清盛のもとを去ります。
萌え出づるも 枯るるも同じ野辺の草
いずれか秋に あはで果つべき
咲きほこるのも枯れるのも、同じ野辺の草たる白拍子のさだめ…
あなたもいずれ清盛に飽きられ、私と同じ目にあうのですよ…
その祇王の意を感じた仏御前は、世の無常を悟り、自ら髪を落として、祇王のもとに走ります。
その向かった先の庵こそ、京都・嵯峨野の名刹 …祇王寺…
『平家物語』の有名な一節です。
by anculu
| 2012-11-28 00:01
| 習いごと
|
Comments(2)
Commented
by
hisako-baaba at 2012-11-28 18:45
素敵な書ですね。
どこかでよんだとおもったら、白隠禅師でしたか。
平家の栄枯盛衰、色々読みたくなります。
どこかでよんだとおもったら、白隠禅師でしたか。
平家の栄枯盛衰、色々読みたくなります。
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Commented
by
anculu at 2012-11-29 00:17
hisako-baabaさま
まだまだいたらない書で、ホントはこんなのをあまり公開してはいけないと、内心思ってはいるのですが…
禅に興味がありまして…どうしても!
さらに実は、祇王と仏御前の話にも魅かれたのです
アンクルは滋賀在住なのですが、祇王はアンクルの住む隣町の野洲という所の出身でして、そこには祇王寺と名乗るお寺があり、清盛の力で地元の整備をした恩人として崇められています
もちろん、嵯峨野の祇王寺とは全然違いますが…
そんな諸々を伝えたくて…
コメントいただきありがとうございました
まだまだいたらない書で、ホントはこんなのをあまり公開してはいけないと、内心思ってはいるのですが…
禅に興味がありまして…どうしても!
さらに実は、祇王と仏御前の話にも魅かれたのです
アンクルは滋賀在住なのですが、祇王はアンクルの住む隣町の野洲という所の出身でして、そこには祇王寺と名乗るお寺があり、清盛の力で地元の整備をした恩人として崇められています
もちろん、嵯峨野の祇王寺とは全然違いますが…
そんな諸々を伝えたくて…
コメントいただきありがとうございました