2024 この1年 ~ 大いなる芽吹きのとき |
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2024年 01月 06日
いつものお正月と同じくこの1年を「易」で占ってみました。
毎度おなじみなのでもうお判りでしょうが、占う前には20分ほど座禅を組んで、とり散らかった心をまず鎮めるところから始めます。 そして得た今年の卦は「 地風升 」・・・ 大きな木が今まさに芽吹こうとしている象(かたち)です。 上の卦三本が地を表し、下の卦三本が風もしくは木を表します。 なので、下の木が上にある地を今まさに突き破ろうとしている象なのです。 「升」は「昇」であり、上昇を表す大吉とされる卦とされています。 すべてが上り調子に向かう1年だというのです。 ところが今、世界をながめてみれば、ロシアによるウクライナへの侵略が止むことを知らず、新たにイスラエルとパレスチナにも紛争が発生し、毎日大勢の無辜の人たちが命を落としていると伝わって来ます。 また、年始めから能登地方が大きな地震に見舞われたうえ道路などが寸断、救助も援助も滞っていて大勢の人々が苦しんでいます。 とても悲しいニュースばかりが飛び込んでくる毎日なのですが・・・ そんな状況を乗り越える何かが芽吹き始めるというのなら、なんだかうっすらと希望が湧いてくるのではないでしょうか。 明るい希望を取り戻す一年であって欲しい、そんな願いを少し後押ししてくれる卦ではないのかなという気がします。 振り返ってわが身にあてはめてみたらどうでしょう。 今年はいよいよ後期高齢者の仲間入りをします。 これからはカウントダウンが始まる年齢になったと自覚しているのですが・・・ どうも「上昇」というのはそんな我が身に似つかわしくないような気がします。 しかしよくよく考えてみると、物理的には衰退へと向かうのは仕方のないこととして、それに反比例して人間としての成熟度がより高まることを求められるのではないのかという気がします。 人としての高みに向かって上昇する、そういう意味なら理解出来ます。 もしそうだとしたら、それはとても素晴らしいことだと思います。 いずれにしても今より一歩先へ進めるよと、何か期待を抱かせてくれる一年の始まりの占いです。 #
by anculu
| 2024-01-06 18:28
| 暮らしだより
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2024年 01月 02日
あけましておめでとうございます!!
2024年のお正月がスタートしました。 今年は3家族13名が集まっての新年お祝い会でした。 人数もさることながら、子供たちみんなが大きくなってカサを増し、我が家が何とも手狭に見えるのに驚きました。 彼らの行動範囲も年相応に広範になっていて、余計にそれを感じさせられるのも一因かも知れません。 パパやママたちはいつまでもこのお祝い会を続けて欲しいと云ってくれるのですが・・・ 果たしていつまで続けられるのだろうか?と、ふと不安な気持ちに襲われました。 こんな気分になったのはこれまでにないことです。 実はそんな風に考え過ぎるようになったきっかけは、身近な知人たちが相次いで他界したり、あるいは病気がステージ何とかの重い状態だという知らせが次から次へと舞い込むようになったからです。 自分もそんなことを宣告されて、思うように動けなくなる日が何時来てもおかしくない。 ひょっとしたら明日はもうこの世に存在していないのかも知れない。 そんなことがとてもリアルに迫って来るのを感じるからです。 今までにはない経験です。 自分の置かれている年齢の状況をいやが上にも思い知らされる気がします。 なので、今年は悠長なことを云っておらず、やっておかなくてはいけないこと、例えば実家の処理や代々のお墓の管理状態の変更など、懸案になっていることにさっそく取り掛かろうと思います。 これまでノホホンと過ごしていた時間を見直して、まず片付けるべきを片付け、そののち何が来ても悔いのないような状態で静かに過ごすのがベストだという気がします。 そんな緊張感が漂うお正月です。 このブログもなかなか更新できない状態が続いています。 何とか続けたいとは思っているのですが、思うように時間が取れないのが現状です。 『Face Book』にはたびたび投稿しているので、何ならそちらの方も訪ねてみて下さい。 よろしくお願いします。 #
by anculu
| 2024-01-02 23:51
| 暮らしだより
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2023年 12月 01日
「どついたるねん」や「北のカナリアたち」でおなじみの阪本順治監督 初のオリジナル脚本です。
貧しかった時代をそれでも必死に生きた若者たちの姿がみずみずしく描かれます。 あらゆる物を大切に使い、人間の排泄物は肥料とし、限られた資源を無駄にしない江戸時代の<循環型社会>をベースに、人の心のあたたかさ、青春のきらめきが美しいモノクロ映像で綴られる異色の時代劇です。 突然の雨を避けて雨宿りをした寺の厠のひさしの下で、紙屑買いの中次と下肥買いの矢亮と出会います。 そして中次はいつのまにか矢亮のもとで下肥買いの相方となります。 最下層のいわゆる3Kの仕事なのですが、彼らは明るさを忘れません。 一方のおきくも貧しいけれど人情味あふれる長屋に暮らしていました。 ある日、中次はおきくの父、源兵衛と厠でばったり。 「お前『せかい』ってコトバ知ってるか」と声をかけられます。 「ホレた女が出来たら云ってやんな。『せかい』でいちばんお前が好きだってな・・・」 そんなことを教えてくれた源兵衛は謎めいた侍たちと連れ立ってどこかへ出かけます。 そして、その後を追ったおきくは、突然侍に斬りつけられ、父と自分の声を失ってしまうのです。 それぞれハンディを背負ったおきくと中次の恋物語です。 声を失ったおきくは自分が本当に好きなのは中次だと悟り、身振り手振りで必死にそれを伝えようとし、中次もそれに応え、おきくに字を教えて欲しいと伝えます。 現代なら美しい純愛物語なのですが、まもなく明治という幕末の時代背景を加味しても、身分制度が厳しく確立されていた武家社会で、仮にも武家の娘であるおきくが最下層の下肥買いの男と恋を成就しようとするのは、チョッとリアリティとしてどうなんだろう?と引っ掛かりました。 でも、おそらくこれはそうした制約を飛び越えて、ある種のファンタジーとして成り立たせようとしているのだと気づきました。 パートカラーがあるとしても、全編モノクロで描かれているのがその証拠かなと思います。 モノクロが古さを表現しようとしているというより、どこかこの世のものと思えない世界をそこに示しているように感じました。 もっとも下肥買いの話なので汚物がいっぱい出て来て、これがカラーではチョッときついなぁという感じなので、その意味でもモノクロしかなかったのかなぁという感じではありますが・・・ この物語のキーワードは、おそらく『せかい』・・・ 『せかい』というとてつもなく広い概念を構成するのはそれぞれ小さな『個』の存在です。 『せかい』とは突き詰めればその『個』に行きつくのかな?と感じました。 そう考えれば、中次にかけた源兵衛の言葉の本当の意味が納得できるような気がします。 『せかい』に息づく『個』としての人々の愛おしさが静かに伝わって来るようでした。 #
by anculu
| 2023-12-01 17:12
| シネマハウス
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2023年 09月 25日
宮沢賢治の父である政次郎を主人公に、家族愛を綴った門井慶喜の直木賞受賞作「銀河鉄道の父」が「八日目の蝉」「いのちの停車場」の成島出監督のメガホンで映画化されました。
岩手県で質屋を営む宮沢政次郎の息子賢治は、長男でありながらも適当な理由をつけては家業を継ぐのを拒んでいました。 農業大学への進学や人工宝石の製造、日蓮宗への傾倒と我が道を突き進む賢治。 それに対し、政次郎は厳格な父親であろうと努めるのですが、ついつい甘やかしてしまう。 やがて、妹トシの病気をきっかけに物語づくりに没頭し始める賢治でしたが・・・ 宮沢賢治の実はダメ息子ぶりが際立ちます。 おそらくホントはこうだったんではないかと、とてもリアルな説得力がありました。 そんな賢治に時には呆れながらもつい付き添ってしまう父・政次郎の親バカぶりがユーモラスで微笑ましい。 賢治の通夜の席で政次郎は「私の使命はこの天翔ける奔馬を地上につなぎ留めることでした」と語ったと伝えられますが、そんな思いがこの作品からもヒシヒシと伝わって来ます。 印象に残ったのが妹トシの存在。 とてもバランスの取れた才媛で、今ならおそらくその才能をもっと開花させていたことでしょう。 時代が時代ゆえに男の陰に隠されてしまった感じですが、それでも教師として自立していたところにその片鱗が伺えます。 でもそんな彼女が賢治を物語の語り部としてとても評価していたエピソードに、賢治の才能が暗示されます。 しかしトシは結核に倒れ、若くして命を落とします。 その最後は賢治の詩「永訣の朝」であまりにも有名です。 結局、賢治もまた結核に倒れ、日ごとに衰えていきます。 そんな時「羅須地人協会」で知りあったと思しき農民が賢治の病状など知らず相談にやって来ます。 賢治は弟清六の力を借りて、息も絶え絶えながら、その相談に真摯に応えます。 ダメ息子ばかりでない賢治の誠実さが伺い知れます。 もう先が見え始めたころ、賢治は父に妙法蓮華経の国訳をつくるよう、そしてそれが自分の一生の仕事であったことを知らせるよう頼みます。 それを聞いた父政次郎の「おまえもなかなかえらい」のひと言に、賢治は清六に「おれもとうとうお父さんにほめられた」とうれしそうに伝えるのです。 いよいよ賢治が死に近づいたとき、当然のように自分が付き添うという政次郎を制し、母イチが自分がと訴えます。 それでもまだ譲ろうとしない政次郎に向かって、母親は私ですからと言い放つイチ。 その凛とした姿がとても印象に残りました。 そう云えば、これまでの「宮沢賢治伝」にはお母さんの存在感がほとんどなかったことに、ハタと気づかされたのでした。
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by anculu
| 2023-09-25 18:32
| シネマハウス
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2023年 06月 17日
水上勉の料理エッセイ「土を喰う日々 わが精進十二カ月」を原案として、「ナビィの恋」の中江裕司監督が脚本も手がけ、沢田研二を主演に据えて原作の豊かな世界観をオリジナルの物語につくり変えました。
長野の人里離れた山荘でひとりで暮らす作家のツトム。 山で採れた木の実やキノコ、畑で育てた野菜などを料理して、四季の移り変わりを味わいながら筆を取る毎日。 そんな彼のもとに時折、担当編集者である歳の離れた恋人、真知子が東京から訪ねて来ます。 ふたりにとって、旬の食材を料理して一緒に食べるのは格別な時間です。 悠々自適の暮らしを送っているかに見えるツトムですが、13年前に他界した妻の遺骨を未だ墓に納めることができずにいました。 とにかく美味しい作品です。 土井善晴さん監修の料理が次から次へと・・・ しかも主演の沢田研二さんがそのレシピで実際につくったのだという。 主人公が禅寺で料理を覚えたという経緯や、畑で自給自足の暮らしをしていることから、野菜中心のいわば精進料理オンパレードなのですが、どれも美しく食欲をそそられます。 年下の恋人らしい編集者との関係にリアリティは希薄だし・・・ 義母との関係、そのお通夜の話などエピソードには事欠かないのだけれど、でもそれが結局何なの?いう感じにしか見えず・・・ 自給自足、そして日々の食事に丹精を込める・・・ 伝わって来たのはその一点に尽きると思いました。 #
by anculu
| 2023-06-17 16:47
| シネマハウス
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